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歴史ドラマ

熊本洋学校


熊本洋学校教師館ジェーンズ邸の画像

熊本洋学校教師館ジェーンズ邸


有為な人材を輩出、熊本の近代化に影響を与えた洋学校。

明治3年(1870年)に熊本藩の実権を握った実学党(じつがくとう)政権により、西洋の文物技術を移入するために創設された学校です。アメリカ人L.L.ジェーンズ(リロイ・ランシング・ジェーンズ)を教師として招き、文学、算術、地理、化学、測量、作文、演説など多岐にわたる授業を、ジェーンズが全て英語で行いました。

明治4年(1871年)9月1日、城内古城(ふるしろ)、現在の県立第一高等学校に開校、徳富蘇峰(とくとみそほう)等の有為な人材を多く輩出しましたが、神風連の乱(しんぷうれんのらん)直前の明治9年(1876年)8月に廃校となりました。ジェーンズの影響で多くの生徒がキリスト教に入信、後に熊本バンドと呼ばれることになる奉教結盟を花岡山(はなおかやま)で行ないました。この活動が当局を刺激し廃校につながったのです。

また、西南戦争の折、佐野常民(さのつねたみ)が、日本赤十字社の前身となる「博愛社(はくあいしゃ)」を設立する許可がおりたのもこの熊本洋学校でした。

コロニア風の建物は水前寺公園の近くに移築され、「熊本洋学校教師館ジェーンズ邸」として一般公開されています。熊本城では、ジェーンズがアメリカに持ち帰った日本資料(アメリカプリンストン大学所蔵)の中から発見された、貴重な熊本城の古写真19枚を、天守閣最上階と数寄屋丸二階御広間(すきやまるにかいおんひろま)に展示しています。


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