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細川家第8代重賢公(しげかたこう)が設立した文武両道の学校です。宝暦5年(1755年)に秋山玉山(あきやまぎょくざん)を初代教授に迎え開校しました。朱子学を学風として、教科書は四書五経。漢学、習字、習礼、数学、音楽、故実などを学び、馬術、居合、長刀、剣術、槍術、砲術等の武芸も東榭・西榭(とうしゃ・せいしゃ)と呼ばれる演習所で修行しました。 藩士の子弟は8歳の正月に入学し、試験に合格すれば13~17歳で「講堂」となり、上位の学科を学べ、更に、前途有望な者と門閥の子弟25人が「居寮生」となり、藩費で寄宿し、勉学を続けることができました。また、特に優秀な者は藩外への留学も認められていました。 明治3年7月藩政改革により廃校となりましたが、規模、組織、内容の充実していることは全国の藩校の中でも屈指の存在として知られていました。
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