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歴史ドラマ

細川九曜(ほそかわくよう)


九曜紋の画像

九曜紋


巴九曜紋の画像

巴九曜紋


細川九曜紋の画像

細川九曜紋


現在のデザインに変更になった細川家家紋の秘話。

延享4年(1747年)8月15日午前8時頃、江戸城本丸大広間縁側に血まみれの男が倒れているのが発見された。虫の息ではあったが「細川越中」と名乗り翌日逝去した。犯人の板倉修理(いたくらしゅり)は直ぐに捕らえられ、後に切腹、お家断絶となる。

この事件は江戸城中での記録に残る刃傷事件7件の内の1件で、殺されたのは細川家第7代細川宗孝(ほそかわむねたか)でした。犯人の板倉勝該は7000石の旗本で、板倉本家の板倉勝清(いたくらかつきよ)に恨みを抱き、殺害しようと江戸城中で刃傷に及んだのです。ところが、薄暗い城中のこと、細川家の九曜紋(くようもん)を板倉の「巴九曜(ともえくよう)」と見間違え、人違いの宗孝に切りかかり、殺害してしまったのです。もちろん細川家にはお咎めは全くありませんでしたが、藩主が江戸城内で殺害されるという前代未聞の出来事ですので、幕府は憂慮し、細川家に家紋のデザインを変えるように命じました。これが細川九曜といわれる現在の紋です。

また、細川家では再び間違われないように、羽織につける紋の数を、通常5ヶ所のところ7ヶ所につけるようになったそうです。


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