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熊本城本丸御殿(くまもとじょうほんまるごてん)は畳数1570畳、部屋数53もある建物群でした。その中でもひときわ大きい建物が本丸御殿大広間(ほんまるごてんおおひろま)で、ここは藩主の居間として使われたり、部下と対面する場所でもありました。 大広間にはたくさんの部屋がありましたが、なかでも一番格式の高い部屋が「昭君の間(しょうくんのま)」と呼ばれる部屋です。この部屋には、中国の漢の時代のお話で、胡の国に送られた絶世の美女、王昭君の物語が描かれていました。 「昭君の間」は実は「将軍の間」の隠語であるという説もあります。熊本城を造った加藤清正は豊臣秀吉子飼いの武将。その遺児である秀頼に万が一のときは、清正にはこの熊本城に秀頼を迎え入れ、西国武将を率いて徳川に背く覚悟があり、そのための部屋が「昭君の間」というのです。 また、昭君の間には抜け穴伝説もあります。熊本城築城に携わった大工の棟梁善蔵(ぜんぞう)が語った「大工善蔵より聞覚控」という古文書が残されています。「昭君の間のうしろに機密の間があつたこつも覚えとる。壁がめぐる仕掛けで、かべが一ちようきりつとめぐつと、ゆかの高さ六尺ばかりのところから、細かはしごで下におりつて、女の髪の毛でねりあはせたつなにすがつて下におり、それからつまるところはふじよう御門からあずき坂にでるやうになつておつた。」全て熊本弁で書かれているのですが、つまり「昭君の間の後ろの壁が回り、床下の通路にはしごと縄で下りれば、そのまま門をくぐって城外へ出れるようになっていた。」そうです。 そのほかにも鴬張りの廊下の話なども残っており、格式の高さとともに謎の多い建物でもありました。
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