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◆横井小楠(よこいしょうなん)をめぐる維新群像


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明治維新の夜明けに影響を与えた横井小楠と縁の人々の群像

横井小楠、通称平四郎、幕末維新期の大思想家です。横井家は細川藩士家禄150石の家で、小楠は文化6年(1809年)熊本城下の内坪井(うちつぼい)で生まれました。藩校時習館(じしゅうかん)に学び、江戸遊学(えどゆうがく)を命ぜられて天下の俊秀と交わり、帰国後実学(じつがく)を唱えて中級武士と惣庄屋層の支持を得ました。
越前松平春嶽(まつだいらしゅんがく)公に招聘され、福井藩にその経論を実現し、後に春嶽の幕府総裁職就任に当たっては、その顧問として幕政改革に貢献しました。その間に勝海舟(かつかいしゅう)と親交を得て、また坂本龍馬(さかもとりょうま)にも影響を与えました。
文久3年(1863年)帰国を命ぜられ、士席を除かれて隠栖すること5年、明治元年乞われて新政府の参与に出仕、抱負の実現を図りましたが、翌2年正月京の町で志半ばに凶刃に倒れました。
明治3年熊本藩は実学派の改革を実現し、藩知事細川護久(ほそかわもりひさ)、大参事細川護美(ほそかわもりよし)の下に、藩士山田・嘉悦(かえつ)・内藤等及び惣庄屋層の徳富(とくとみ)・竹崎・長野等により、肥後の維新の到来を見たのでした。

この群像は横井小楠の生誕190年、没後130年を記念して2000年に、千葉城に近い高橋公園に建立されました。台座には小楠がアメリカ留学に旅立つ甥に贈った「尭舜孔子の道を明らかにし 西洋の器械の術を尽くさば 何ぞ富国に止まらん 何ぞ強兵に止まらん 大義を四海に布かんのみ」の言葉が刻まれています。